「四の五のいわずに、もう出すことにしちゃった」顔みるなりそう言ったら、「らしーね」とユカちゃん(ライター斉藤ユカ)とマリちゃん(アリーナ編集)が笑いながら言った。
今日はアリーナのインタビューで、ユカちゃんにデモテープ聴かせて、「かっこいいじゃん」て言わせて奮いたった(笑)。洗いざらい話して、「おもしろそうじゃん」て言われて、よっしゃ、と思う。ユカちゃんの後ろにみんなの顔が見えて、すげー楽しみになる。さらに初めて僕を知る人の顔を想像して、どんどん楽しみになる。
もちろん聴かせるのはすごく緊張したさ。きっとリリース前夜はドキドキしっぱなしだろう。ライブ当日はぶったおれそうなくらい緊張するだろう。でもね、すげー楽しい。自分をのっけたものがどうやってみんなに届いて、どんな風に受け止められて、って考えると変になりそうなくらいワクワクする。何千人の「かっこいいじゃん」と「おもしろそうじゃん」を受け取りにいくつもりでステージに立つ。それが「かっこわりーじゃん」と「つまんねー」にしないように、僕は必死にすべてをさらけ出すよ。それはもう死ぬか生きるか。そこで僕を受け止めてくれるみんな一人一人との直接対決なんだとあらためて思う。
この会報のインタビューでも言ったけど、「期待されているもの」のこと。正直「私の知ってる倫くんと違う」って思われたら、って怖がっていた。自分で別の側面だっていいながら、気にして自分がわからなくなりそうだった。それに応えようとすること。それは大切なことだと思うし、間違っていないと思う。でも、僕は「(仮)」で待っていてくれるみんなに、初めましてを言いにいくわけで。「僕」を死にものぐるいで形にする。「僕はこういう者です」って、もう一度出逢おうとしているのだから。逆にそうしなかったら、それこそ裏切りだもんね。
「裏切り者には死を」っていうことばがあるけど。よくマフィアものの映画とかに組織の掟として出てきたりするやつ。騎士道にもあるんだっけ。あれって組織の側の人間が裏切り者に対して言うけれど、僕にしてみれば、自分の感情を 裏切っては生きていけないっていう感覚にぴったりくる。人に言われるんじゃなくて、裏切った本人が、死を以て、裏切ったというそのことをそして自分を葬ってくれ、って言うためのことばなんだという気がする。僕は善き人ではないから、掟やぶりはいっぱいするだろうけど、裏切ることだけはしたくない。どうしてそういう風に考えるようになったのかな。ああ、でも体操部でもそうだったのかもな。昔っから、そして今もチャランポランなんだけど。なんていうか、恥ずかしいけど、やっぱり僕が投げたものを誰かが受け取ってくれたというリアルな感覚が、そうさせてくれているんだと思うよ。裏切れないもの。それは自分であり、自分の前にいるみんななんだと。
こんなにも飢えていたのかと、実感。
072400
ファンクラブ会報内エッセイコーナー「MK MONOLOGUE」(080600発行)より